皆さんこんにちは。
少しずつ暖かい時間も増えてきて、鼻がムズムズする感覚、飛び出るくしゃみ、目のかゆみ。今年も春の訪れを感じています。
このブログを始めた当初は新型コロナウイルス感染症が国内でも広がり始め、不安と混乱の中にいたことを思い出します。この文章を書いている現在においても新型コロナウイルス感染症により関東地方はまん延防止等重点措置が敷かれた状態となっており、事態が劇的に変化したかといわれるとそのようなことはありません。もちろん、マスクがいきわたり、手指消毒が習慣化されました。お店に入れば検温と手指消毒が当たり前のように実施され、花粉の季節以外でもドラッグストアにはマスクが平積みで目立つ位置に置かれるようになりました。こうした小さな、けれども確かな変化が起こっていますが、そのような状況にも適応しながら私たちは日々を過ごしているのだな、と実感します。
そうやって人間は状況に慣れていきます。慣れることはつまり適応していくことです。そうして人類はこれまでを歩んできたのかもしれません。けれども、慣れてはいけないこと、忘れてはいけないこともあります。2022年になってからはロシアのウクライナ侵攻があり、今現在も戦闘は続いています。多くの民間人が住む場所を追われ、ケガをし、亡くなる方もいます。偉い人は安全な場所から指示を出すだけで、傷つくのはいつだって関係のない人々です。これまでに人類は2度にわたって世界大戦を行いました。戦争だけで言えば数え切れません。日本は戦国時代なんて時代があったくらいですからね。
戦争は肉体的な負傷だけでなく、心にも傷を負います。世界大戦終了後には、精神科看護のヒルデガード・E・ぺプロウも退役兵の心のケアに尽力したと言われています。日本でも戦争から帰ってきた父親が別人のようになり、後年は病院で過ごした等のエピソードが語られています。このように考えますと戦争というもので得るものがあるのは偉い人だけなのです。勝っても負けても、民間人を含む人々はこころに、身体に傷を負って生活をしていかなければなりません。
毎日のニュースが戦争の話題で不安になることが多いです。そうしてふと日付を見ると、今日は3月11日です。11年前の今日、東日本大震災がありました。日本の家屋は耐震住宅も多いので、家屋倒壊は海外に比べれば少なかったかもしれません。けれども、予想をはるかに超える津波によって多くの人の命が失われました。残された人々にも大きな傷を残していきました。11年が経ちましたが、まだ見つからない方もいます。まだ復興も途中で、まだ故郷に帰れない人もいます。
日本は災害の多い土地柄です。どんなに訓練されていても、どうにもならないこともあるかもしれません。それで被害を減らすべく皆が一丸となって、多くの命を守る行動をしています。しかし、戦争は防げるのではないか、とも思います。偉い人たちの一部の考えを実行するのにどうして多くの人を巻き込む必要があるのか、その犠牲は果たして仕方のないものなのかどうか、そういったことを国の運営にかかわる人たちにはもう一度考えてもらいたいものです。核を保有している国が侵攻したら周りは誰も助けてくれません。ならば、侵攻する前に止めるしかありません。災害と違って、人が関わることですから、出来ないことはないはずです。
思いついたことを書いていたらまとまりのない文章となってしまいましたが、平和への祈りを。被災地の復興を。
そんな昼前の金曜日でした。
文:古田
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